自分を育てるもの 1-3

「生きる」を楽しむ

前回は寄り道をさせてもらいましたが、今回は本編に戻り「3.日本との別れ」の続きになります。

 

4.ゴルフに教えられたこと

一つ目、「腐るな」「諦めるな、朝の来ない夜は無い」

転職後しばらくは、当然ながら楽なことばかりではなかった。会社の文化に馴染めない部分があり、スタッフをまとめるにも新参者への警戒があるのか手古摺ることが少なくなかった。今でも記憶に残っているインドネシアでの事例を2つ取り上げ、書き進めさせて頂く。タイでも相当な問題に直面したことがあるが、こちらはまた別の機会に書かせて頂く予定です。

製造現場での経験と記憶

声掛けを心掛け、時にはスタッフとの会食を開き関係構築を図ってはみるものの良くなっている実感が無い。ナショナルスタッフ(以降NS)にしてみれば新参者の私より会社では先輩な訳で、あれこれ指示をされなくともやることは分かっている、とでも言いたいのだろう。時間が経てば上司として受け入れてはくれるだろうが、のんびりとその時を待つなど性格上出来なかったし、そんな気楽な立場ではないとの自覚もあった。転職先の会社はその頃、家電よりも車載ビジネスの比率が上がっていた時期で、品質、納期で随分苦労されていた。従来通りのやり方が通用しないことはトップ含め分かっていたが、現場のやり方が一向に変わらないことから前任の日本人を帰任させ私を招聘したという経緯があった。

NSにとっては帰任した日本人の方がやり易かったようだが、与えられた使命を果たすには、NSの考え方、取り組み方を変えるより無く、そのためには彼等を如何にうまく取り込むかに掛かっていた。少しは焦りもあったが、一朝一夕で改善しないゴルフ同様に問題の本質、根っ子はどこなのかを観察し考え、考えることを止めずに考えた。NSと接していて、そして観察して気付いたのは、前任時代から現場で声を上げても取り上げてくれない、結果現場の問題・課題が会社の問題として上に届かない、そのため全てに諦めに似た雰囲気になっている。ならば現場の声が上に届き易く、その声に応えてやれる会社にすれば良いのではと考えた。就業規則、食事についての不満を一部のNSより聞いた際に会社側に要望を出そうと言ったら、何年も前から前任の日本人には言ってきたが何もしてくれなかった、もう諦めている。と言われたので、もしや突破口になるのではと考え、一通り要望を聞き、先ずは日本人同士で打ち合わせを行い、総務部巻き込んで就業規則の一部見直しと給食業者選定方法の変更を実現した。給食業者の件は、予想通りというか結論を言うと、業者から総務部の担当が飲食の接待、定期的に現金まで受け取っていたため社員に不評でも業者を変えなかったという問題が発覚し、担当は即時解雇。「インドネシアあるある」です。

このことが有って以来、NSの態度、仕事の進め方が変わり(アドバイスを求めてくるようになった)、特に生産計画、部品管理の改善が進み、納期問題が解消されたのは大きな一歩だったと思う。当時のNSは日系企業に勤めるのがステータスで、居心地が良ければ長く勤めるし、そうでなければさっさと他の日系企業に転職、業種は問わずの雰囲気があった。NSにとっての居心地の良さとは、上司(日系は大概日本人)が自分たちにとって味方であるか、存在を認めてくれるかが基準だったのではと思う。

品質に拘わる記憶

製造部門のNSとの関係が改善されると、全社的にNSとのコミュニケーションに問題が出ることもなく比較的スムースに物事を進められるようになった。納期問題の改善の次は品質改善となるが、持論として品質は客先の要求を理解するのが重要であり、目的達成のためのプロセスがどのようになっているのか確認し理解する必要があった。当時の状況は品証担当(日本人駐在員)がNSに理解させる取り組みが不十分であり、プロセスが有っても進め方は目先の対応に終始していて、良くなる方向には進んでいなかった。品質を良くしろと号令を掛けるだけで、製造部門同様日本人駐在員がネックになっていた。

客先で問題が発生しても日本人が客先に出向く訳でもなく、現象と現物確認が疎かになっていて、対策を立てても効果が出ない。そうした取り組みがお客には消極的だと映ったようで良好な関係では無かった。そこで、客先不良は製造側の責任であるとの立場で、問題発生時は進んで客先に出向いて現象と現物を確認させてもらうようにした。客先の日本人責任者と何度か顔を合わせて話をしている内に、不良の程度でフィードバックの仕方を変えてくれ、対策も取り易くなっていった。客先との合同品質会議を毎月開催していたが、1年ほど経過した頃から不良が減ったことでネタ切れ、マンネリ化しそうになりはしたが、サッカーの会社対抗戦、食事会など社員同士の交流を定期的に行い良い関係を築くことが出来た。本来自分は品質、納期問題でお客に頭を下げに出向くことは非常に苦手というか嫌でしようがなかった。しかし、社内を見回しても自分以外にやりそうな人が見当たらないし、社内で馴染めそうな雰囲気も感じていたので、地味な練習でも必要であれば、やり続けることによって結果は出せる、その経験が生きたのだろう、嫌なこと(人が嫌がっている事)も必要ならやるしかないと覚悟を持てるようになったのだと思う。

既に定年でリタイヤしている当時のNSから偶にメールをもらうことがあるので、今でも繋がっているなぁと、あれはあれで良かったんだなと思っている。

ゴルフで伸び悩んでいる時期に、色々考えながら成果を出すまでの経験が生きた。抱えた問題・課題はその根っこの部分が分からないと解決にたどり着けない。観察すること、情報取り、それらの整理と分析を繰り返す。書けば1~2行で済む事だが、数週間から数カ月に及ぶことはざらにある。同じもの、同じことは二度と起こらない。情報も常に正しい訳ではない(むしろフェイクが多いか)。ただ整理と分析で解の一片が見つかるとそれにつながる一片が見つかる。それがうまく連続して繋がれば、どのような行動を取るべきかが見えてくる。後は信じて行動するのみ。狙った成果から遠ざかるのであれば原点つまり観察からやり直せば良い。違う角度から見直す、情報の裏を取り直す、整理の時点で不要と思えたモノが必要なときもある。問題・課題は放り投げたらそれで終わり。成果が出なかった、で終わる。成果が出来るまでやり続けるのなら失敗でもないし無駄でもない。何事も腐らず、諦めないことがゴルフでの成功体験から学んだこと。ゴルフ同様仕事も好きになれたからこそ続けられた。それ以外に無いと言える。

二つ目、「人のふり見て我がふり直せ」

球聖ボビー・ジョーンズの遺した言葉に「人生の価値はどれほどの財産を得たか、ではない。何人のゴルフ仲間を得たか、である」というのがある。アマチュアでありながらタイガー・ウッズさえ成し得ていない年間グランドスラムを達成し、プロにならず生涯アマチュアを通し、現在の4大メジャートーナメントの一つマスターズを創設した偉人の言葉である。私がまだ日本に居る頃、100打つ人も、72を切ってくるプロ並みの人も、仕事を持ち自分の足場というか生活基盤をしっかり築き、時間を作っては好きなゴルフを、気の合う仲間を集めてプレーする、楽しそうにわいわいと遊び、かといってルールは軽視せず厳しく皆公平さを失わない、そんな雰囲気が好きだったし、その影響は少なからず受けて成長したと思っている。意識はしていなかったが、そのような方々と波長が合うというか、求めていたのかもしれない。

日本を離れてからも、ゴルフ仲間と言えるのはやはり似たような人達を求める傾向に有ったのだと思う。途中でプレーを諦める人、時間にルーズ、ルール軽視のプレー、ゴルフ以外で良い人だと感じても、仮にその人がお客様であっても、無意識に距離を置くようになっていた。これまで出会った人でゴルフと仕事、或いは人としても敬意を払いたくなるのはどのような人達か触れたいと思います。

ルーティンが決まっている人 常套行動

クラブハウス到着からスタートまでの行動と時間がほぼ決まっていて無駄が少ない。こういう人は自分の打順前にティペグ、グリーンフォーク、ボールの準備は勿論、クラブ選定からショットまで含め淀みなくこなす。自分のスタイルとでもいうか、自分で決めた手順を自然にこなす動作は傍から見ていて気持ちのいいもの。

仕事にしても納期に遅れることは無いし、整然とした説明をするので作業が進め易い。とはいえ、ガチガチに決めた通りに行動するかと言えばそうではなく、最適化を図ることを怠らず柔軟に対応する能力も長けているので、一緒に仕事をしたり取引するのも非常にやり易い、間違いなく成果が出るだろうと思えるので、やりがいを感じると共に一つ一つの作業が楽しくなる。また、ルーティンの決まっている人で時間にルーズな人は見たことが無い。プレー当日だけではなく普段の生活でも拘りを持って行動している。習慣化したものでなければコースに行っていきなりやろうと思っても出来るものではないし、信念を持ち自分に自信を持って生きている人であろう。何度一緒にプレーしても飽きないものである。逆のタイプは言うまでもないが段取りから手順が一定ではないので、どうしてもプレーの進行が遅い。スコアが乱れだすと悪循環を繰り返す。そのパターンが仕事でも再現したかのように成果を出せない。自分を守るためなのかそのタイプは群れに入るのを好むように見える。群れの中で評価されるよう腐心する。

自分に厳しく他人に優しい 外寛内明か自巌他寛かな?

ミスショットは誰にでもある。ただ、ミスショットの後の態度、行動が同伴者への印象が全く違うものになる。自分自身に腹を立て声に出したり、道具を放り投げたり等行動に出したのでは程度次第だが、見苦しいものである。キャディに八つ当たりなど論外である。逆にミスショットしてもヘラヘラしていたら、真面目にゴルフに取り組んでいない印象を受け、これもまた見苦しいとしか言えない。そもそも自分のゴルフがどのレベルなのか自覚があるのだろうか?思い通りのプレーが出来たら誰も苦労しない。コースで自分に腹を立てるより以前に、先ずはレンジで思い通りに打てるまで練習をすべきで、レンジにも行かず思い通りのプレーが出来ないといってイラつき、腹を立て、時には道具、キャディに八つ当たりするのは自分を甘やかしているだけである。

時々ハザードに打ち込み規則無視して自分が打ち易い場所を選びプレーを続行する姿を見かけるが、そうした行いも自分を甘やかしている証左である。コースデビュー翌年だったか、そこそこのスコアでプレーしている時、1打でもロスしたくないと慎重にプレーしていた時にハザード(赤杭)に打ち込んでしまった。二アレストポイントが打ち難い場所だったため、少し条件の良い場所を探し本来の場所ではないところからプレー続行したことがあった。正しく処置していれば、スコアは2~3打悪かったかもしれない。それより自分に恥じない処置をしていれば、その日のプレーは後味の悪いものにはならなかったはず。しばらくの間気分が良くなかった思い出がある。以来、規則通りの処置を心掛け自分に恥じないゴルフをしてきた自負はある。「あるがまま」を受け入れ、罰は規則に則り処置をする、当り前のことを行うのに自分への甘えがあったのでは到底出来るものではない。

自分を甘やかす人は自分本位に考える人が多く、自分にとって不利に働く人には敵意を抱くようである。全ては自己責任であるはずのゴルフで、うまく行かないからと誰かのせいにするのは人間性が疑われる行為。キャディはプレーヤーの分身ともいわれるように、キャディのミスはプレーヤーのミスとして罰を受けるが、キャディが言った距離、ラインが違うからと文句を言うのはそれとは違う。あくまでも打ったのはプレーヤー自身。結果もプレーヤーの責任である。この分別が付かない人は仕事、人間関係に於いても自分の都合しか考えないし行動するので信頼に足らぬ。お付き合いするにも一定の距離を置く必要がある。

平常心 泰然自若

ゴルフは自己責任のゲームであるが、全てという訳ではない。自分以外が要因で悪い結果になる場合が少なからず起きる。ティショットがフェアウェイ真ん中を捉えたとしても、着弾地点にスプリンクラー栓がありそれに当たり大きく跳ねてOBゾーンかハザードに入ることが無い訳ではない。或いは雨上がりでボールがプラグになりロストボール、飛んでいる鳥に当たり池に入る、自然相手なので予期せぬ結果になることも。

アンラッキーな状況で何事も無かったような顔をしてプレー続行できる人は少ないはずである。良いペースでプレー出来ていてスコアも生涯ベストが狙えそうな時だったりすると尚の事。恨み言の一つも言いたくなるだろう。大袈裟に言えば、世の中の不幸を一身に受けている感覚さえ抱くかもしれない。一寸先は闇とはよく言ったもので、結果が予期せぬものになっても、それを引き摺って心の平静を取り戻さないまま進むのか、心のどこかに秘めても気持ちを切り替え(割り切り)平常心を取り戻し目の前の一打に集中できるか、その差は非常に大きいと思っている。

ゴルフに限った事ではない。インドネシア、タイでは過去大きな政変、暴動が発生した。奇しくも私はその時期何れの地にも駐在し間近で目撃することになる。その際、駐在員はとにかく身の安全確保を最優先に、状況判断し出来る事を粛々とこなしていれば済む話であり、場合に因っては帰国すればいい、ただそれだけなのである。当然現地社員の安全確保も同時に考え処置する。自分の力が及ばないものに戦々恐々としてやるべき事が疎かになり何ら成果を上げられなかったというのは最悪で、この手の人間が組織のトップだと業績低下は勿論の事、統制も取れず部下にも信頼されない。

具体例を上げるなら2007年~2008年タイでの事、政変、暴動が結構な規模で発生。発生から地元のTV、ニュースサイト、SNS等から情報を引いて1時間に数件メールで実況を流す。社内だけではなく社外の取引先にまで送っている。そんな駐在員が居た。仮にも営業組織を取りまとめる立場の部長職に有ってである。事件が報じられて混乱するのは数時間から数日程度で、大概は直接影響を受けなければ通常業務に戻れる。報道機関にでもなったつもりなのか、業務そっちのけで延々と終息迄続けた。完全に浮足立っているように見えた。社内、取引先から苦情が出ても本人は正義のつもりなのか頻度こそ落ちたが止めることはしなかった。むしろ日本側は評価していると自慢気な態度。現場からしたら飛んでもない事で、営業のスタッフもどうしたらいいのか戸惑うだけで、調達先の情報取りが遅れたために納期調整も後手に回り、日本からは納期遅れのクレームを何度か受け、日々追い回される羽目に。

事件が起きた時点で家族帯同組優先に帰国させたが、基準を見直してリスク管理すべきだったと今に思えば反省点と言えば反省点である。

あるがままを受け入れる 因果応報

言うまでもないが、人は皆同じではない。見た目も中身も違っている人の集合体が世の中である。そして競争が存在するのも世の中で、結果として優劣が付く。アマチュアのゴルフに於いては、飛距離で優劣を競う傾向にある。特に始めて間もない層に多いと感じる(歴40年のご年配も居たが)。ドライバーの飛距離が300近く飛ぶ、9番アイアンで150飛ぶとか、確かに飛ぶのはアドバンテージになるしスコアメイクが楽である。ただ、残念なのは飛距離とスコアが比例しない現実がある。同伴者に常にティー・ショットをアウトドライブされていれば心中穏やかではないだろう。ただ、自分のゴルフが確立されていて、自分の飛距離でのゴルフと割り切れば、仮に100Y置いて行かれても焦りも無いし、いわゆる「上がってナンボ」の世界である。ドラコン競技ならいざ知らず18ホールをいくつで終われるかのゲームなので、1打で何ヤード飛ばそうが少ない打数で終わった者が優秀なのである。

斯様にゴルフゲームの本質を理解し実行出来ている人は、目の前で起きている事を素直にあるがままに受け入れているし、良いも悪いもフラットな気持ちでどのように対処すればいいか考えている。平常心につながるものでもある。職場に於いても環境の変化、例えば社内に派閥が有ったとします。どこの派閥にも入らず実績を評価されている人の上司が、派閥に加担しないのはけしからんと言って、その人の評価を下げ、最悪組織から外そうとも、先ずは受け入れ、冷静に最適解を探り出来る事から始め、目指す着地点=成果に向かって進められるはずである。本人にとってそれがやりたくない事、きれい事でなくても目の前の1打の距離を狙うのではなく、「上がってナンボ」と考えれば迷うことなく進められるものである。

良い事も悪い事もあるがままを受け入れる基本、根の分には「因果応報」「人生プラスマイナスゼロ」の考えを持っていれば大概のものは受け入れられるものである。ゴルフでも平均90前後の人が82を出した翌週100叩く、或いは前半40で回り後半49で回っても89、そんな計算をした時に限って後半50以上叩き90切れない事は多々ある。青木功プロの自伝に「平均の法則」というのが有ったと記憶しています。まさしく「因果応報」だと思う。目の前の事、自分の精神状態がショット(行動)にどのような影響を及ぼすか理解(自覚)し、狙った成果を出す処方さえ身に付ければ、良い事悪い事のギャップは埋まっていく。ひいては平均スコアが良くなっていく(H.Cが減る)、仕事では自分の役割、使命をより強く意識出来成果物を得ることになる。

三つ目、「本性が出る」

頻繁にゴルフを共にプレーする機会が有っても、心底「ゴルフ仲間」と思えない人は居るものだ。一緒にプレーをしていてオリンピック(グリーン上での点取り)に異常な執念を燃やすタイプで、時々度を超す発言や行動が問題と感じていたが、嫌な相手だとは思っていなかった。しかしある日彼が私に近付いた目的を知り、残念な思いであったし、ゴルフを単なる手段と考えている事が許せなかった。取引開始、つまりは口座開設が目当てだった。取引先リストに私の会社の名前を載せることで、日本本社へ増資の相談をし易くするためだったようです。現地子会社は7期連続で赤字、日本本社がどうしようとしていたのか知る由も有りませんが、彼はタイに居続けようとあの手この手の延命策を提案し、そして受けていたようです。

口座開設後から誘ってもゴルフに来なくなり、営業は現地NSに任せ自ら来ることがなくなった。こうもあからさまな態度を取られては良い気分はしない。他の調達先でも十分賄えていたので、購買担当には必要があれば見積り依頼し、競争力が有りそうなら自分に見積りを回すよう指示した。他社よりメリットが有っても、4半期毎に提出してもらっていたPLの状況が改善していなかったので発注には至らなかった。通常はPLまで要求し、それを見て判断しないが敢えてそうしていた。信頼するに足りない調達先を抱えては、最悪の場合自滅するしかないので相応の事をさせてもらった。その後、彼をゴルフ場はおろか良く通っていた日系の居酒屋でも見かけなくなった。NSの話だと帰任の辞令が出たと同時に退職し、タイに留まり別会社に移ったとの事。目の前の損得だけで生きていたのだろう、若い内は上司、同僚の援護があり、本人の実力以上の評価をされ、期待に応えられる人材と見られ10年近く駐在したものの、子会社とはいえ一企業のトップとして通用する器では無かった、それだけの事だと思う。

この事例以外にもいくつかあります。今回はこれ位に留め、また別の機会に引っ張り出すかもしれません。ただ、仮にゴルフを営業ツールとして使いたいのであれば、相手を気分良くさせ、また次回も一緒にプレーしたいと思わせるプレーヤーを目指す、その努力が必要です。遊び感覚で自己中なゴルフをやっているようでは営業ツールにはならない。遊びとはいえ、人の本性が見えるゲームであるし、18ホール隠し通せるものではない。

 

では、また次回。

タイトルとURLをコピーしました