続・ゴルフに見る人間模様 去りし者-1

人間模様

[その男]との出会いは、東日本大震災後3年が経ち、間もなく4年という頃だった。

1.企業買収からの出会い

ちょうど震災と同じ年の2011年は、タイでも大洪水という災害があり(ホンダのアユタヤ工場が沈んだのは有名)、被災しなくても顧客、調達先が被災し、相当数の企業が事業継続する事が困難であった。他の地域(国)に拠点を移す企業も有れば、自らの判断或いは日本本社の判断で廃業する企業があった。それから3年、私の会社の調達先である企業(A社とする)は、現地に残り復帰に向けて取組んでいたが、思うように受注を伸ばせず、従業員の給与支給も厳しくなっていた。日本本社は災害時より廃業を進めていたが、現地の責任者が継続を望み、指示に背いていたため支援する気は無いし、求める訳にもいかないと、もう後がない状況だった。私の会社に買取を打診してきていたが、評価(Due Diligence)の結果が芳しくなく、多少盛ったにしても社内審査が通るレベルでもなく、私としてはこれ以上何もしてやれる状況では無かった。

大洪水後より作業者派遣を委託していた人材派遣会社(B社とする)が、A社を買い取る事を決めたのは、その年の暮れであった。年明け早々、A社の責任者がB社の[その男]を伴って私を訪ねて来た。言葉を選ばず言わせてもらうと、B社日本(一部上場だったと記憶)でも役員の一人というので、そのイメージはどうせ現場の事など知らない、数字重視のお役人に近いのだろうと思っていた。が、どっかの建設会社の現場監督のような風貌。短髪、日焼けした顔、少し大きめの上着にチノパン、くたびれた靴。私も普段スーツを着て仕事をしている訳ではないし、同じ現場を持っている者として違和感なく、というよりむしろ親近感を抱いた初対面だった。歳は7つ下という事だったが、歳の差を感じさせない落ち着きもあった事も一因だったと思う。

会社が変わっても、保有している設備、キーになるメンバーが残っており、取引は継続していたので、[その男]とはよく会っていて、月一の頻度で(多い時は毎週)日本食居酒屋へ繰り出していた。詳しい経歴などお互い話す事は無かったが、創業間もないB社で、派遣社員の送迎をしつつ、人手が足りなければ自ら現場に入り作業を行い、顧客との関係構築を築いてきた。また、海外(ASEAN)に出るのを躊躇う同僚に変わり、積極的にその役目を買って出て、タイに事務所を構え(後に現地法人化)、タイを始めとしてベトナム、マレーシア、インドネシアへとビジネスを拡大する事が出来た。そうした実績を評価され、現場からの叩き上げとして、異例の出世を成し遂げたようであった。電子電気機器の製造工場への派遣も多く、現場を知っている者同士、話をしていてお互い共感する部分が多く、食事に留まらずゴルフも一緒にするようになった。

2.良い事は長く続かないのが世の常

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A社の業績も少しずつ上向きだした頃、A社の発案でA社B社連合と私の会社との対抗戦をやる事になった。初めは半期に一度だったが、四半期に一度のペースになった。A社B社連合が大きく負け越してしまい、このままではいけないとB社日本の若手を呼び参加させる事に。この回では、私と若手のスクラッチ勝負も含まれることになり、いつも以上に盛り上がった。聞くところによると、大学ではゴルフ部に所属し、卒業後しばらくプロを目指して研修生になったが、夢破れ会社員の道を選んだとの事。この回、対抗戦では僅かな差で負けはしたが、若手とのマッチは、真剣モードのスイッチが入り、最終ホールのパー5で3打目が直接入るイーグルまで飛び出し、久々のアンダーパー69で回ることが出来、5打差の勝ち。呼び寄せた[その男]は、若手の桁違いのゴルフを見るのは勿論、同伴者二人のハイレベルなゴルフを目の前で見る事が出来たと喜んでいたし、最後は若手共々「脱帽です」と。

[その男]、お世辞にも上品なゴルフでは無かった。喜怒哀楽が出やすく、ミスショットだとか楽勝に取れるオリンピックを逃がした時等は全身使って悔しがっていた。傍から見るとちょっと距離を置きたい場面がしばしば。ただ、裏表の無い、どちらかと言えばさっぱりした性格だなと感じていた。

時には80台で回る腕前であるが、以前出会った高学歴であるが[残念なゴルファー]に近いものがあり、思い込んだら突き進む一面があり、冷静に自分を見れている時はいいが、時々我を忘れたように大叩きする事があった。一声掛けると軌道修正してくるので、[残念なゴルファー]の一歩手前といった感じ。私としても[その男]とはウマが合うというかゴルフ、呑みは楽しい時間であった。そんな時間が3年近く経った頃に事件が起きてしまう。事有る毎に「タイ人を信用するな」と言ってきたのだが。。。

そして、去りし日は突然来る

現場の叩き上げで、現場を大事にする。それにも増して人間関係に人一倍気を使ってきた[その男]は、A社タイ人GM(General Manager)[K]に全幅の信頼を寄せていた。日本人工場長よりも、である(この状況が危ないなとみていた)。子会社化して以降、僅かながら利益を出せるようになってきていたが、B社日本本社の監査が入った際に、粉飾決算の疑いが出た。詳細は聞かされていないが、[K]の部下が、売上原価が下がるように在庫の数字を操作し、粗利を多く見せかけていたとの事。最初[K]は、スタッフの理解不足で自分には非が無いと、言い逃れしていたが、そのスタッフが[K]の指示で決算書を作成したとあっさり口を割ってしまい、大問題に。[その男]は信頼した[K]が悪意を持ってやったのではなく、[K]もそのスタッフも理解不足だったと庇っていた。その後本格的に[K]の尋問、身辺調査が行われ、粉飾の指示を出していた事が明白になった。加えて業者から受け取ったリベートを、自宅購入資金の一部にしていたことまで発覚。信頼されている事を良い事に、裏では好き放題やっていた。[K]が言うには、[その男]の事は何とも思っていなかった。恩を感じる事も、信頼されてそれに応えよう等とも思っていなかったようである。一度上げた手を降ろすタイミングを見誤ってしまい、[その男]は最後まで[K]を庇い、役員解任、解雇という厳しい処分を言い渡される。

*タイ王国国際空港

宣告されて以来音信不通となってしまったが、A社の日本人が言うには、宣告受けた翌日にはタイ出国し日本に帰国したとの事。また、今回の事態は、[その男]を追い出すために一人の役員が仕掛けた策略のようだと聞かされた。アセアンビジネスがうまく行き、同じ役員であっても評価に大きな差が付いてしまい、その事を嫉んでいたようであるとも。[K]がスタッフに数字の改ざんを指示したのは間違いないが、[その男]が一度庇った事で、策略男は[その男]の指示で[K]がスタッフに指示をしたと本社に報告した。激しく否定はしたものの、策略男の根回しにより役員会の総意となってしまい、[その男]を入社当時から可愛がり信頼していた会長は、本人と話す事も出来ず、同意するしかなかったようである。

宴の後はいつも。。。

[その男]が去り、すかさず策略男がタイの責任者に座り、A社の代表になったとの事で挨拶を受けたが、[その男]とは真逆で役人のような出立ち。話しぶりからも現場で汗流した経験も無いようで、上に気に入られ、出世が目的であるかのような仕事観を持っていた。ゴルフはやるにはやっているが、営業ツールの一つとしてであり、楽しいと思ったことは無いとの事。到底仲良く出来るタイプでは無いと感じた。案の定、A社の現場には目もくれず数字ばかりを求め、スタッフ達からは不満が多く出ていた。それを抑えるので精いっぱいだと、A社日本人は嘆いていた。裏を返せば、自分が仕掛けて[その男]を追い出したものの、同じことをやられないように予防線を張っていたのではないか。盛り上がっていたゴルフ対抗戦も無くなり、定期的に開催していた技術向上に関する交流会も無くなり(私が開催の意味が無いと判断し取り止めに)、A社とは単なる調達先の一つ、それも消極的な付き合い程度の関係に落ちてしまった。

[その男]の存在は、周囲に前向きな思考をさせる。無理そうな案件でも、どうやったら出来るのかを検討する雰囲気、いや検討せざるを得ない雰囲気を上手に作る。宴会の延長と言っては語弊があるかもしれないが、それ以外にしっくりくる言葉が見当たらない位である。

学ぶべき事

[その男]の行動から学ぶべき事は、以前にも書きましたが、タイ人とは友好的、親日的な態度であっても日本人同士では無いので、1㎜でも2㎜でも疑って付き合わないと、痛い目に遭う。

会社の為に働くなんて目出たい人間は稀有である。タイは学歴が高ければ、実績が無くても高いポジションに付く仕組み。現場を知らなくても、用語を少し覚えれば部下を持ち管理者になってしまう。学力が有るか無いかに拘わらず大学を目指すし、仕事を持ってからでも出身校で差が付くので、上のランクの大学に入り直す。要は中身では無くラベル・表示が全て。見込みがあると思い一所懸命仕事を教え、一人で熟せる頃には間違いなく転職を考えている。離職前であっても仕事で使っている資料(マニュアル、テキスト等)、会社PCのデータをHDDに収納し、面接時に「これをやってきました」と見せる輩も居る。また、転職を考えていなくても、どうしたら自分の収入を上げられるのかを考える。立場を利用して、業者から袖の下をもらう事を悪い事だと思っていないし、むしろ貰うのが当たり前にしか考えていない。自分さえ良ければ的な発想、つまり民度が著しく低い。

余談:ある日系企業の「タイ化」

[K]が業者よりリベートを受け取っていたと書きましたが、それに関係する話を。

近年日系企業は昭和時代のような接待、リベート、バックマージンといった、お金に関する規則が厳しくなっている。公正な競争が行われるようにとの事。数年前、よく知っている日系企業は、日本人主導でリベート要求が常態化していると、機械商社の方から聞いた事がある。タイ人はせいぜいノートPCか携帯(当然ながらiPhone)で済むが、日本人は1~5%のリベートを要求してくると。多い時だと数百万円になるのだとか。タイ国内で一番の顧客なので断るに断れず、目立たない様に、時には日本側の了解をもらって支払っていたようです。日本人が「タイ化」した一例です。その後、その日系企業に何があったか知りませんが、社長以下幹部連中は降格及び帰国命令が出て、上層部が刷新。その後リベート要求が無くなったとの事。機械商社が苦情を申し入れたのは明白。顧客の言い成りになっていれば、上場企業としての立場に留まらず、業界での生き残りすら危うい事態になりかねない、良く言えば浄化した、普通に言えば自己防衛(チクリ)に出た、のでしょう。

3.感謝と再会の念

[その男]との出会いで得たものは、久しぶりに、現場に対する熱い思いを語り合える人間に出会い、忘れ掛けていたモノ作りの精神、そして「丁寧な仕事」を思い出させてくれた事。今以って有難く思っている。実力からみたら、数段高いレベルの管理を要求される案件でも、尻込みするスタッフに対して、その問題・課題一つ一つに時間の制限を設けず、丁寧に解決のヒントを与え、次第にやる雰囲気を作っていく熱意には、感心するばかりであった。発注する立場のこちらとしても、費用を掛けずに受けてもらう案件が多く、もしうまく行かなければ、割高な他社に委託していくしかない状況だったので、非常に助けられた思いだった。熱心に取り組んでもらうと、本当は良くない事だが、手の内を見せて(たまたま資料を置き忘れたとか理由を付けて)までも、他社より優位な提案書、見積書を出せるよう、陰ながら支援していたものである。

仕事、ゴルフ共に楽しく有意義な時間を共有出来た、数少ない心から仲間と言える男だった。今でも何処かで、元気に暮らしているであろう。再会したいと思っている一人である。

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