映画「PERFECT DAYS」を観て。

「生きる」を楽しむ

昨年8月以来の映画鑑賞。役所広司さん主演の「PERFECT DAYS」を観た。

和訳すると「申し分のない日々」、がしっくり来る映画だった。挿入歌ルー・リードのPERFECT DAYがもとになったのか知らないが、この歌は物語に厚みを与えているように感じる。

平凡であるが。

テレビの無い部屋で文庫本を読み、音の出るものは唯一カセットテープ。多分70年代の曲がメイン。主人公:平山は所謂「世捨て人」。しかし、人とは繋がりというか、関りを断っている訳ではないようである。トイレ掃除の職場、謎の大道芸人、銭湯、居酒屋、スナック等では人との関わりを楽しむかのようである。主人公:平山にとっては、居心地のいい場所、時間を過ごすのが「申し分のない日々」なのだろう。

木漏れ陽行動に必要なモノを、準備している状況を見るに几帳面な部分が見えるし、毎日同じパターンで生活出来る事に満足する。いや、むしろ同じパターンを楽しんでいる。穏やかな気持ちでPERFECT DAYSを楽しんでいるように見て取れる。

「申し分のない日々」を満足している中で、自分では制御出来ない、外部からの変化を受け入れざるを得ない事態が発生する(部下の退職)。仕事そして生活のパターンが崩れ、イラつく状況に人間味があふれている。

自らを重ねると

我が身を振り返って、自分のPERFECT DAYSは有っただろうか。サラリーマンやっていた頃、好きな事を自分のペースでやれていた時期は本当に短くて、末端から徐々に上に行くと、会社が決めた課題・目標が最優先になり、会社の業績第一、そして悲しいかなラットレースに自ら飛び込み、自身の実績作りに邁進する事が多かった。部門毎に課題・目標を立てるも、結局は会社の大方針に基づくもので、自分のやりたい事が出来る状況ではなくなる。そんな状況でも課題・目標に取組んで、成果が見え始めて来ると毎日が充実していた。逆に成果には程遠い時期、それこそ(行ったことは無いが)地獄の苦しみ。部下が育ちある程度任せられるようになると、組織の中にあっても自分で決めた仕事のペース、生活リズムで過ごせるようになる。とはいえ、現場では設備故障、作業員の無断欠勤などに因り生産体制の変更、生産遅延対応の休日出勤、顧客との納期調整、品質問題対応など異常事態はほぼ毎日起きる。むしろ変化の無いのが珍しい事で、変化こそ不変であると考えていた位である。いくら準備していても、自分一人の力ではどうにもならない、外的要因の変化は必ず発生し、それに対応しながら成果を出していくしかない。それを当たり前と受け止めていたし、その日の問題解決こそPERFECT DAYだと考えていたのかもしれない。

外部から変化を受ける事を好むのであれば、その変化が起きる日こそPERFECT DAYなのかもしれないが、映画が伝えたかったのはそうでは無いはず。自分に置き換えた時もそう言える。穏やかな気持ちで「申し分のない日」を過ごせるのは変化の無い日、ワンパターンである事が退屈ではなく充実。気持ちがフラットな状態といえるだろう。変化は刺激をもたらす。良い時も有れば逆にストレスと感じ悪い時もある。特に企業で働いている時の刺激はストレスの方が多い。夜も眠れない日を幾度も経験した。眠れず考え抜いて、解決した時の爽快さは格別であるが、100あれば1か2程度。強度のストレスを抱えたまま、時の過ぎるのを耐えて待つ事の方が間違いなく多かった。いかなる環境にあっても、人間ってのは生きる術を身に付ける。ストレスをストレスと思わなくなる。耐性が出来るとでもいうか。

家庭に居ても同じである。家族とはいえ、それぞれの価値観を持った人間の集まりであり、同じ思考を持ち同じ行動をする訳ではない。一緒にいて楽に感じる事の方が多いかもしれないが、毎日がPERFECT DAYではない。映画の中で平山は、父親と何かしらの問題を抱え、家族と疎遠になっている状況が描かれていた。受け入れるか受け入れないかは考え方次第であろうが、自分を殺してまで形に拘るよりは、自分の居場所、時間を求めるのも一つの生き方である。明確にやりたい事がその企業にあるなら、企業の組織に入りやり切れば良いし、自分の生き方が、それに合わないのであれば無理に居る必要は無い。

人生の豊かさとは

人生の豊かさって何だろう。傍から見れば、些細な事、どうでもいい事のようでも、本人にすれば大事であり意義のある生き方、PERFECT DAYSなのだろう。仕事リタイヤして早1年。外部からの変化を受ける頻度が極端に減った。自分から変化を起こす事も同様に極端に減った。かと言って、時間を浪費するのは嫌であり、じっとしている事が苦手なので、生きる楽しみを見つけなくてはと思っていた。無理に見つけようとする事自体どうかと思ったが。自分探しみたいなものであるが、これまでに得られた経験から、何か残せないかと思いブログを始めてみた。記憶をたどる事もそうであるが、その時期何を考え、何に気持ちが揺さぶられたのか、少しずつではあるが過去の心象風景がよみがえる。うまくまとめられた日は満足感を得られるし、そうでない日も「こんな日も有るか」程度に考えれば、決めた事が出来ただけ「良し」と思える。

資格取得に目覚める

これまで公的な資格とは縁がなく、年初に今年何か資格取得に挑戦してみようと、従事した経験が無くても受験出来るモノを探したら電気工事士に目が止まった。第二種であるが、電気に関しては馴染みが有り、回路等多少の知識は持ち合わせているので、取っつき易いだろうと思い挑戦する事を決めた。1ヵ月程学科の基礎的な学習に費やし、その後は過去10年分の問題集に取組んでいる。現時点での自分の生活パターンは、ほぼ同じ時間に起床し、手で挽いたコーヒーを一杯飲み、気持ちが整ったら受験勉強、終わったらブログの下書き、雨が降っていなければ4~50分のウォーキング、家のゴミ出し、時々風呂掃除、夕方本を読みながら晩酌、ほぼ同じ時間に就寝、の繰り返しである。この形こそ今の自分にとっては、生きている実感があるし、やり残し感の無い一日と感じる事が多い。自分にとっての、正しくPERFECT DAYSを送っている。残りの人生いくらも無いと思うが、これからやりたい事はある。30年も家を空けていると、自分の居場所=スペースが無く、増築して趣味の空間を作りたくなった。表向きは家族の為と言っているが、本心は自分の空間作りなのである。業者の方に全て任せるのが一番良いのだろうが、それでは面白みが無い。第二種電気工事士の資格を是非取得し、増築部分の電気工事は自分でやろうと考えた。それも太陽光発電を備え、自分のスペースで消費する電力は自分で賄おうというもの。やりたい事が見つかったのはいいが、お金が掛かる事なので、手持ちの蓄えを失っては元も子もないし、将来と残された家族の事を思えば、身体が動ける内は少しでも稼いだ方が良いのは明白。受験勉強とウォーキングの合間などに求人情報を検索している。

映画とは、こうも素晴らしいものだったのか

主人公平山の几帳面な性格(と感じた)から、血液型はA型だろうと勝手に想像していた。主人公を演じた役所広司さんはどうかと思い、調べたらAB型だとか。血液型と性格は一致するものでは無いとの説があるが、これまでの経験上そうとも言えないと思っている。AB型は二面性があり、A型の特徴である几帳面さを持ち合わせているだろう思っていて、役作りには苦労せず取り組めたのかなと思えた。B型は自由奔放で、また人を惹きつける何かが有るようなイメージなので、本人の意思とは関係無く、老若男女に好意を持たれる面も描かれ、正しくAB型をうまく表現しているなぁと感じた。東京を舞台に、台詞は多くないが世代毎の日本人をうまく表現されていて、演者が良かったのは言うまでもないが、日本の事、いや日本人をここまで表現してくれたドイツ人の監督(ヴィム・ヴェンダースさん)に脱帽です。映画と言えばアクションものをよく観ていたのですが(ミッションインポッシブルなんかは大好きですね)、胸に染み入る、こうした抒情的とも言える映画も良いなと改めて認識しました。TVドラマ等ほとんど見ない方ですが、家族が観ているのを偶に目にすると、刺激が強い設定のものが多く、観る側が求めているのであれば仕方の無い事であるが、穏やかな気持ちで見終えるものが少ないように感じる。平山に様々な変化が降り掛かり、抗いながらもいつもの日常を望み、そして日常を取り戻す。そんな場面にも自分と重なる部分が見え、胸が熱くなってしまった。ラストシーンは更に胸が熱くなる、平山の涙と表情。この映画は、私の「申し分ない一日」にしてくれたし、幸せとは何かを再認識させてくれた、掛け替えのない作品である。PERFECT DAYSに感謝。

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