自分を育てるもの 2-1

自力作善
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自分を育てたものシリーズ第一章では、趣味であるゴルフを書かせてもらいました。ゴルフも自分なりにうまくなるには5Sの考え方が有効だと思っている。仕事でも自分が成長出来たのは、5Sの考え方を常に意識した事が大きい。体験等含め5Sがなぜ自分を育てるものになったか記していきます。

第二章 5S

今更5Sについて書いたところで新鮮味は無いと思われるのは十分承知している。しかし、これまで目にしてきた5Sに関する記事、本は自分の身に置いた場合、何かしっくりせず少し違和感を禁じ得ない内容のものが多かった。製造現場の実態と自分なりに理解し実践した経験から5Sについて書きたいと思う。

今更ながらとはいえ、一応5Sの説明をします。

「整理:Seiri」「整頓:Seiton」「清掃:Seisou」「清潔:Seiketsu」「躾:Shitsuke」のローマ字表記頭文字「S」が5つということで5Sと呼ばれている。それぞれの意味、言いたい事は概ね以下の通りである。

整理=要るものと要らないものを分け、要らないものを捨てる

整頓=置き場所と置き方を決め、いつでも使えるようにする

清掃=ゴミ、埃の無いようキレイな状態にする

清潔=整理、整頓、清掃が行き届き、いつでも使える状態にする

躾 =整理から清潔まで習慣化し維持できる状態にする

5Sの目的

大部分の企業、職場について言える事は、作業・業務の効率改善になります。

5Sを要約すると、要るものが(整理)→決められた位置に決められた方法で置かれていて(整頓)→汚れ、ホコリが無く(清掃)→いつでも使える(清潔)→このような状態が習慣化され定着している(躾)。人にも言える事で5Sが揃った人は見た目も良く、第一印象に限らずいつ会っても気持ちが良いものだ。また、初めて訪問する会社が5Sと程遠い状況だったら、担当者の印象が良くても取引先として選ぶのか相当の事情が無い限り有り得ない。日本に於いては、自分で遊べる年齢の頃から自分で片付けるよう親に躾けられる人が多いだろう。幼稚園から大学まで教育の場に於いては整理・整頓・清掃・清潔を自ら行うよう教育・指導され、同時に公衆マナー、エチケットを潜在意識に植え付ける。日本人が公衆の場でゴミを捨てたり、汚す行為を行う人間が少ないのは教育、躾の効果である。来た時より、使う前よりキレイにして帰る。度々ワールドカップで取り上げられる日本人サポーターの行動が話題になるのは5Sの教えが身に付いている証左である。東アジア、東南アジアで暮らしてみて、ゴミを拾う、汚れを落とす作業は清掃員のすることとして、大概の現地人はどこであろうが平気でゴミを捨て、汚す行為を多々目にすることがある。現地人の意識としては私捨てる人、あなた拾う人という役割分担があり、それを忠実に行っているだけなのかもしれない。海外から日本に来てゴミが落ちていない、汚れていない街に感動して帰る旅行者がいるようだが、5Sを自然に実行出来、美観を保つ事にも寄与しているのだから、広義で日本人の心を醸成するのも5Sの目的、役割と言えるのかもしれない。

長年勤務した製造業の立場でいうなら、5Sの主目的は新規事業導入或いは既存事業の規模拡大をいつでも始められるスペースを確保する。日々の生産活動に於いて5Sを行う目的はいくつかあるが、工場運営の立場からすれば第一目的としても良いくらいである。空きスペースを確保することは会社、工場全体が見えていないと出来る事ではない。また、空きスペースは一見無駄と思えるかもしれないが、新規事業、新規顧客に対し空きスペースを活用して直ぐ始められるというアピールは非常に効果的である。新規案件が決まってからスペース確保に動いたのでは多額の投資が必要になる場合もあり、状況次第で開始時期が遅れ、遅れる事に因る業績見込み違い(低下)、時期を逃すことで狙い通りの受注に達しないなど機会損失を招くことが予想される。工場に一定割合のスペースを確保することは工場として最大の営業ツールと考えている。よく品質が良い工場が優秀だとか言われますが、これが営業的に売りになるかといえば、そうではない。品質はモノを作ってこそ評価出来るのであって、新規案件の導入はモノを作るスペース=箱が無くては先に進まない。しかしただ単にスペースがあれば良いというのではなく、理想は何も置いていない、必要な動力(電気、エア等)は仕様に応じて最小限の日程で工事を済ませられる。仮にモノを置いていても置いた目的、いつまで置くのか、置いたモノの責任者(部署)などがきちんと表示されている。そのような状態が管理された空きスペースであり、無管理状態の空きスペースに商機は無いと言える。但し、身の丈に合わない箱モノを作って無駄に広い空スペースを持っていても、それは営業ツールと言えない。

5Sの実態

5Sの実態について、これまで見てきた取引先、調達先の多くは自分たちのためというよりも、工場見学或いは工場監査で来社するお客様、普段あまり姿を見せない自社オーナーに褒めてもらいたい、良い印象を持ってもらいたいために実施するところが多い。非日系は言うに及ばず、残念ながら日系も多く存在していた。共通しているのは責任者が現場に出る事が少なく現場任せにしている。実績の数字を良く見せる事に注力し、5Sはやる気が無いと見え、軽んじているようでもあった。急な品質問題で訪問すると普段何もしていない事が明白で、現場の事を聞いてもまともな回答が出来ない、平気で実態と違う説明をする。それを指摘すると「以前と違うじゃないか」とスタッフを叱る。叱られたスタッフの問題ではなく、変わったことを把握せず指摘を受けるまで現場を見ていない責任者の問題であることが多い。

非日系企業は文化の違いなのか、経営者自身意識が薄いのか、5Sの掲示物が少なかった。5Sを掲示している場合、そのほとんどは日本語をローマ字(Seiri、Seiton、Seisou、Seiketsu 、Shitsuke)にしていた。稀に英語表記で5S:Sort、Set、Shine、Standadize、Sustainと少数ながら見かけたことがある。最初目にした時違和感を覚えた記憶がある。整理:Sort、整頓:Setはイメージしやすいが、清掃:Shine或いはShiningは少し飛躍したイメージを受けた。清掃はゴミ、ホコリ、汚れを残さない、可能な限り短時間で日々行う作業であり、毎日ピカピカにする作業を続けるのかと。理想として挙げるのはいいが、異常の早期発見、早期処置を目的としているので、継続出来なければ意味が無い。一般的なCleaningでは5Sにならないので無理矢理Shine(Shining)にした感が否めない。また、躾のSustainは継続という意味では適しているのかもしれないが、少し弱く感じてしまう。自主性は重んじるにしても、現場で整理・整頓・清掃を習慣化させる指導・教育という意味合いもあると考えているので、Disciplineの方がしっくり来るのだが。。。3S-C-Dでもいいと思うがあくまでも5Sにしたかったのだろうと思うしかない。

表示、掲示はどうでもいいとして、調達先を訪問した際必ずチェックする場所がある。掃除用具とその保管状態を見るようにしていた。用具の種類、汚れ、傷み具合、数量、保管場所の清浄度等は現場の5Sの実態、考え方を反映している。軽んじているところは、有ればいい程度のモノしかなく、汚れを放置し傷んでいるモノの更新もされていない、品質も不安定で納期遅延も度々引き起こす。時々問題が有って工場を訪問していて始業時、終業時に居る事がある。掃除用具を粗末な扱いをする現場は、始業時間になっても作業者が持ち場に付かない、予定数出ていなくても終業時間前5~10分、酷い時は30分も前に手を止め掃除をすることも無く、無駄話をしてベルが鳴るのを待つ。生産活動の足を引っ張る行動が目に付いた。企業の程度を知るには掃除用具と保管場所が一番良く現れると言える。また、生産現場に清掃専門の作業者を配置している工場がある。それをダメとは言わないが、掃除の目的、意義を経営者、現場の責任者が理解していないとしか思えない。

掃除に限らず5Sそれぞれ別途個別に書きますが、掃除の目的、意義を一言で言うと「変化を知る」ためである。自分の持ち場の掃除をすることで作業エリア(テーブル、床)に何が落ちていたか、モノ次第では品質問題につながる可能性もあり、発見することで発生及び流出を防ぐことが出来る。また、キレイにすることで傷、破損、液漏れと言った設備・装置の不具合を早期に発見・処置を行える。つまり設備停止に因る生産ロスを避ける事が出来、修繕費用を最小限に抑え計画的な生産活動が可能になる。

効率改善=ムダ取り

外面を良くしようと行う5Sでは実効性はなく、長続きもしない。本気で作業・業務の効率改善をしたいと考えているのなら、自身の経験から次のような取り組みが必要であるといえる。

5Sと言えば躾、清潔、清掃、整頓、整理という人は居ないはず。普通は整理、整頓、清掃、清潔,躾の順になる。それにはそれなりの理由がある。いや、考えて作られたのだから私が考えているよりも明快な理由があると思っているがここでは私見を書かせてもらう。

5Sの目的は効率改善の達成であると先に述べましたが、達成するための具体策は「ムダ取り」である。ムダがあれば時間は掛かり、人員増を招き、場所も多く必要になり、管理の手間も増え、その分コストが掛かる。そのコストを回収出来なければ業績を悪化させ、従業員への配分=給料も減る、もっというなら株主への配当が減り経営者の責任問題になる。良い事は何一つ無い。

企業活動している中で「ムダ取り」と言っても何から手を付けていいやら迷うところである。事務仕事から現場の生産ライン、倉庫、運搬等々至る所に改善のネタは転がっており、これらを一気に手を付けたのではむしろ混乱しか起きない。

製造業に於いては生産現場こそが利益の源泉であり、生産現場が5Sを実践出来ていないと間接部門がいくら頑張ったところでたかが知れている。効率的な生産活動は、どの作業者がやっても狙った時間で狙ったアウトプットを達成させる、いわゆる標準化を図り徹底させる事が肝要で、その為の作業者の立ち位置、体の動かし方、動かす順序、加えて部品、材料の配置、或いは設備のレイアウト等考えられるあらゆる角度から分析と検討、試行を繰り返して最適解を求める。一度達成したらそれで終わりではなく、更なる効率化を求め5Sの観点から改善活動を続ける。

実例

分かり易い事例(実例)を上げますが、調達先から納品された5つの部品を2種類のネジ8本で固定し完成品に仕上げるセル生産(=一人作業)工程があるとします。一日8時間400台必要とした場合、アウトプットは1時間当り50台、72秒に1台、8本のネジを使用するので1本9秒で締め込み完成させれば良い計算になる。この作業者は一日300台前後完成させるのが精一杯で、効率として75%以下でとても採算が取れる状況ではなかった。

では、どのような作業状況だったかというと、作業中に足りなくなった部品とネジを取りに行く、完成品を検査員の居るテーブルに移動する行動が一日に数回あった。また、ネジの種類毎に電動ドライバー(以降:電ドラ)のビット(柄の付いていないドライバーと同じ)交換をして作業していた。他、部品と完成品の置き場所が定まっておらず、頻繁に移動を繰り返していた。一日の計画数が達成出来ないので必然的に残業となり、それでも必要数に届かないため、急いで作業を行い、時には決められた手順を守らず不良品を出し、その処理に人員が掛かり、場合に因っては廃棄といったムダを発生させていた。

この工程の一番大きな問題は、作業者が本来のネジ締め作業以外に部品とネジを取りに行く、完成品を移動させるという行動にある。整理はモノだけではなく動作にも言える。必要な動作と不要な動作という事になるが、作業者本来の作業はネジを締め完成品にする、です。部品、ネジを取りに行くという動作は作業時間に入っていないのでやる必要が無い。また、完成品を検査員のところまで移動するのも作業者のやる事ではなく不要な動作と言える。電ドラのビット交換は作業する上で必要な事であるが、ビット交換の時間は空転時間、ムダな時間であると言える。

そこで、部品とネジの供給を間接部門の作業者に行わせ、完成品の検品は検査員が組立工程で必要数実施(サンプリング)。その際作業手順と使用ネジの種類をチェックし、作業者がより作業に集中出来る環境にした。もう一つのビット交換は、現場が遠慮したのか、管理者がケチったか知らないが、電ドラ一本で作業する発想自体がどうにかしていて、電ドラをもう一本準備させ、二本体制でビット交換無しで作業出来るようにした。作業効率が改善されただけでなく異なるネジで固定する仕様違い、違うビットを使用しネジにダメージを与える事が極端に減り、客先品質、工程内品質共に大きく改善された。動作の整理整頓は作業者のムダ取り、作業の補助として必要な位置に必要な人を配置。電ドラの追加は「必要なところ」に「必要なモノ」を「必要な数」配置する。電ドラ+コントローラの追加で確か7~8万程掛かりましたが、残業無しで計画通りアウトプットがされ、品質も改善、費用対効果は十分お釣りが来るほどである。この改善後、部品、ネジ、完成品の置き場所と置き方のルールを決め文書化した。いくら品質が改善されたとは言えネジは小さく、扱いにくい事も有り、稀に抜け=欠品という品質問題を発生させる事が有った。欠品というのは仕事をしていない、いわば非常に恥ずかしい不具合である。社内には一台の製品に必要な8個のネジを一列に並べるトレイを作製し、使用本数を可視化し欠品予防をしてはどうかとの声もあった。1日400台分3,200個のネジをトレイにセットする手間=工数を考えるとコスト負けしそうなので、自分たちで廃材を利用し全8点締めたらランプが赤から青に変わるカウンタを作製し欠品防止策とした。このカウンタも「必要なところ」に「必要なモノ」だったという事になります。

続きは次回。

*文中の写真はHIOS社H.Pより引用させて頂きました。

 

 

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